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第46話

Author: 狐狸
last update Last Updated: 2025-07-07 11:08:13

アイリスが冥府の国へと旅立ってから、数日が経った。

王城は、まるで空が悲しんでいるかのように冷たい、そして終わりの見えない雨にずっと閉ざされていた。

「……」

玉座の間では、国王が不機嫌な顔で大臣からの報告を聞いている。

「陛下、この長雨で、各地の川が増水しております。このままでは、低地の穀物が、全滅する恐れも……」

「……分かっておる」

「は、それと……民の間で、不穏な噂が、流れ始めておりまして……。先日の、あの、儀式の後から、どうも、天のご機嫌が、よろしくないのではないか、と……」

「──くだらんッ!!」

国王は、その言葉を、激しい怒声で、遮った。

「全ては、天候の問題だ!不敬な噂を流す者どもは、捕らえて、牢へ入れておけ!もう、よい、下がれ!」

大臣が足早に、その場を去っていく。

「くそっ……なんだというのだ……!」

一人残された玉座の間で、国王は額に浮かぶ冷たい汗を手の甲で乱暴に拭った。

天候の問題だ、と彼は自分に必死で言い聞かせる。

しかし、彼の脳裏には広場で見た自分のあまりにも情けない姿と、そして夜ごと彼を苛む悪夢の光景がこびりついて離れない。

──あの儀式の日。

冥府の使者を前にして、震え、そして娘を盾にするかのように隠れた、自分の情けない姿。

その噂は瞬く間に城壁を越え、今や国中に広まってしまっていた。

騎士たちは陰で主君の臆病さを嘲笑い、民衆は天の不興も全ては王の不徳の致すところだと囁き合っている。

日毎に彼の権威は、砂の城のように、静かに崩れ落ちていっていた。

夜、眠りにつけば必ず、あの悪夢が王を苛む。

彼はもう、食事の味も分からなかった。夜毎、悪夢にうなされ、眠ることを、恐れ、昼間は、臣下たちの侮蔑の視線に怯える。

豊かであるはずの国も、王の心の荒廃に呼応するかのように、輝きを失っていく。

アイリスという、一人の光を自らの手で闇へと突

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